今をさかのぼること128年前の明治17年(1884年)6月21日、大妻コタカ先生は広島県の世羅で、熊田小十郎の第六子(末子)として産声を上げました。
しかし、その時期は農繁期。「こんな忙しいときに生まれるなんて困った子だね」と言われ、家族はいつしか「困った子」「こまった、こまった」と、あやすようになったということです。
それから5カ月後の11月、稲の刈り入れも済み農作業も一段落した頃、家族は丸々太った「困った子」の籍を入れていないことに気付きます。名前も「困った子」では困るので、「コタカ」としたということです。
届を出した11月20日が戸籍上の誕生日となっており、後に、学校が設立され、学校記念日をこの11月20日に定めることになりました。
生前、コタカ先生は笑いながら、「私には2つの誕生日があります」とよくお話になっていました。
(2012年6月22日記)