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日別アーカイブ: 2017年6月29日
大妻家と大祝諏方家
6月25日(日)、大妻コタカ記念会と大妻コタカ・良馬研究所との合同調査として、長野県諏訪市博物館および大祝諏方家住宅(現在諏訪市教育委員会保管)へ行きました。
昨年10月に開催された大妻女子大学シンポジウムで「大妻氏と大妻神社」のテーマでお話いただいた高見俊樹先生に、その中で触れられた大妻家と諏訪大祝との関係をさらに詳しく教えていただくことを目的としたものです。
高見先生は現在、諏訪高島城資料館の館長をしていらっしゃいますが、学芸員として諏訪市博物館の立ち上げに尽力され、博物館にも展示されている数々の出土品の発掘にも関わってこられ、また最後の大祝諏方家の資料引継ぎにも携わってこられた方です。
ちなみにお嬢様が大妻女子大学社会情報学部のご卒業というご縁もあります。
この日のテーマである「大祝」とは諏訪明神の依り代(神霊が意思を伝えるために人間界に現れるときに依りつく対象物。つまり神の代行者)として諏訪社の頂点に位置した役職。
上社大祝は古代から近世末まで世襲され「諏方氏」を名乗っており(この場合には「諏訪」ではなく「諏方」)、中世までは諏訪領主として政治権力も握っていたのですが、明治維新を経て神官の世襲制度が廃止されるに伴い、大祝職も廃止されたのです。
この古来から続く大祝諏方氏を中心として、鎌倉時代には武士団として成長し、諏訪神党である神家一党三十三氏の中に大妻家が含まれています。(昨年の「ふるさと」68号参照)
江戸末期、生き神として最後の大祝職であったのは諏方頼武氏で、明治になって頼固氏、頼宣氏が家督を継ぎ、頼宣氏の子である弘氏で諏方家は途絶えることとなっってしまいました。
この日は、今に残る大祝諏方家の見学(外観のみ)をし、博物館に引き継がれた資料のいくつかを見せていただきました。
頼宣氏の妻の横山(旧姓)キマさんは大妻技芸学校で学び、のちに寮の舎監も務めており、頼宣氏も一時期大妻で教職についていたという大妻との深いつながりがあります。
大妻コタカ先生と幼い弘氏が布団で横になった笑顔あふれる様子が写真に残されており、コタカ先生が弘氏をとても可愛がっておられたことがわかります。
また、キマさんの丁寧に克明に書かれた日本刺繍を始めとする数々のノートも諏訪市博物館に保管されており、それを見るとキマさんは大変優秀な方であったであろうことが推察されます。
生き神として崇め祀られてきた大祝諏方家と大妻家や大妻の学校との強い結びつきなど、新たなことをたくさん知る一日となりました。
お世話になりました皆様、有難うございました。
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