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大妻同窓会埼玉の総会
今年も大妻地方同窓会の総会が開かれる時期になりました。
5月14日(日)、大妻同窓会埼玉の総会が大宮の川鍋ビルで開催されました。
毎年、総会の後に様々な企画が用意されますが、昨年の「知って得する法律のおはなしー相続の基礎知識1」が好評だったことを受け、今年はそのパートⅡとして「相続の基礎知識2」を、行政書士の諏訪智がお話しくださいました。
遺言書の書き方、遺産分割協議書について、不動産の相続に関する手続き、そしてエンディングノートについて等々、具体例を挙げながら詳しくわかりやすくお話くださり、いざという時のための備えを、できるうちにしておくことが必要という思いになったのは、私だけではなかったことでしょう。
おいしい食事をいただいた後は、出席者の近況報告。
介護など、それぞれに様々なことを抱えながらも、ポジティブに生活していらっしゃる方々のお話には、見習うべき生き方のヒントがたくさんあり、とても有意義な時間をもつことができました。
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広島世羅を巡る旅
3月3,4日に大妻コタカ記念会と大妻コタカ・良馬研究所との共同で、広島県世羅町で大妻コタカ先生ゆかりの場所を巡る調査を行いました。
この調査にあたっては大妻同窓会広島・世羅代表の伊藤さんを始め、教育委員会の方々などたくさんの方にお力をいただき、大きな成果を挙げることができました。
まず初めに世羅町立せらひがし小学校へ。この小学校は120年以上も前にコタカ先生が通った川尻尋常小学校のあった場所にあります。ここにはコタカ先生が揮毫された「強く正しく朗らかに」の額が掲げられ、その下には「地域から学ぶ私たちの大先輩 大妻コタカ先生」としてコタカ先生の紹介がされています。
次に訪れたのは世羅町立甲山中学校。校庭にコタカ先生の書である「愛郷崇祖」の石碑があります。甲山中学校ではコタカ先生の教えを学び、修学旅行では毎年大妻を訪れていて、この「愛郷崇祖」の言葉は、教育目標の一つである「郷土に貢献できる生徒の育成」に通じるものとして大切にされていました。
次への途中、コタカ先生が校長を務め、地元でも大妻の教育が受けられるとして長く存続した大妻女子専門学校(昭和35年~昭和56年)の校舎跡にも立ち寄りました。「恥を知れ」の石碑が残り、コタカ先生が建設に奔走された当時の校舎もそのまま残っており、現在は森林組合が使用しています。
そして駅伝で有名な世羅高等学校へ。ゴールテープをイメージして建てられたという斬新な校舎の一隅にある同窓会室に、コタカ先生の書になる「楽学自尊」の額がありました。力強い書に、楽しく学び自分を高めることの意義が伝わってくるように思いました。
この世羅高校は世羅高等学校、甲山高等学校が統合されたものですが、甲山高等学校の前身をたどっていくと甲山高等女学校、さらには多田道子裁縫所までさかのぼります。
この多田道子裁縫所は、高等小学校を修了したコタカ先生が通った学校で、その裁縫所跡は県指定の史跡となっている今高野山の中にあります。
室町時代創建の総門をくぐり、熱心に学ぶコタカ先生の15歳の姿が目に浮かびます。
多田道子裁縫所は、女子といえども学問の重要性を説いた父親の影響で1897(明治30)年に創設されますが、その2年後に入学したコタカ先生は多田道子から大いに影響を受け、さらなる向学心を育み上京のきっかけとなったものと思われます。
教育委員会の学芸員の方がここまですべて同行してくださり、実に詳しく説明していただきました。本当にありがたいことでした。
翌日は大田庄歴史館で成安館長に地域の歴史、三川ダムなど詳しくご説明いただきました。
平家の落人伝説の残る久恵集落(くえしゅうらく コタカ先生の生家のある地)周辺は干ばつに悩まされていたため、三川ダムが建設され1960(昭和35)年に完成しました。
家々は水没の憂き目にあうこととなりましたが、コタカ先生の生家は移築され、今なお昔の面影を残しています。水没する前の家々の様子はどうであったか。残された写真を元に、成安館長にご説明いただきました。
以前ダムが干上がったときがあり、水没前の家や田畑がそっくり現れたこともあったとか。
最後には三川ダムまで行き、たくさんの収穫を得てこの旅を終えました。
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卒業生の活躍
大妻女子大学の卒業生(S51年国文科卒)である仙台在住の田中勢子さんが代表を務める「わしん倶楽部」の活動についてはこのブログでご紹介してきましたが、このたび「わしん倶楽部」が総務省の「第21回防災まちづくり大賞」の消防庁長官賞を受賞しました。
この「防災まちづくり大賞」は阪神・淡路大震災を契機に、平成8年度に創設されたもので、地域に根差した団体や組織などの防災に関する優れた取り組み・工夫などを表彰して災害に強いまちづくりの推進に資することを目的としています。
消防庁長官賞は4団体が受賞し、わしん倶楽部が行った「楽しく学ぶ、防災・減災教室」~ゲーミング・シミュレーションによる防災教育~が高く評価されました。
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生涯学習講習会~花~
今年度の生涯学習講習会も修了の時を迎える時期になりました。
2月4日(土)は「花」が最終回で、これまでの成果を発揮するにふさわしい素敵な作品が仕上がりました。
「毎回楽しくできました」「いつもお花に心が安らぎました」「習うほどに、もっと上手にという意欲が出て…」という声を受講生の多くの方から伺いました。
来年度も引き続き開講されますので、今年度受講された方も、新たに始めようと思う方も、奮ってご参加ください(会員でない方も参加できます)。
「ふるさと通信」、記念会ホームページでご案内を掲載いたします。
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新年のごあいさつ
明けましておめでとうございます。
皆様にとりまして、今年が穏やかで幸多き一年でありますようにお祈り申し上げます。
関東は晴天に恵まれた年明けとなりましたが、皆様の地方ではいかがでしたでしょうか。
今年の干支は丁酉(ひのととり)。
酉の由来は「果実が熟した様子」を表すことから、酉年は「物事が成し遂げられ、利が得られる状態」になるといわれているそうです。
それを考えると、今年は学問や仕事などで成果が得られそうという期待が持てます。
予期せぬ出来事がニュースになったり、自然災害に見舞われることもある昨今ですが、年の初めの“今年こそは”という願い事が成就され、大きな手ごたえを感じられる一年にしたいものです。
大妻コタカ記念会はこれから今年度の締めくくりと次年度への準備の時を迎えます。
着実な歩みが大きな成果につながることを信じ、会員の皆様と共に前に進んでいきたいと思います。
変わらぬご支援を賜りますよう、年頭にあたりご挨拶申し上げます。
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文化講演会「宮沢賢治が歩いた東京」
今年は宮沢賢治生誕120年であることにちなみ、大妻コタカ記念会では12月10日(土)、記念文化講演会を「宮沢賢治が歩いた東京」という演題で開催いたしました。
講師は大妻女子大学教授であり、前宮沢賢治学会イーハトーブセンター代表理事である杉浦静先生。
宮沢賢治は1933年(昭和8年)37歳の若さで亡くなっていますが、大正から昭和の初めにかけて9回東京を訪れ、語学学校に通ったり詩や短歌の創作活動をし、それを「東京ノート」として書き残しています。
はたして賢治の目に当時の東京はどのように映っていたのでしょうか。
杉浦先生は「東京ノート」にまとめられた詩や短歌を資料としてご用意くださり、東京での9回の足跡をたどってお話しくださいました。
最初に賢治が東京に来たのは、1916年(大正5年)高等農林学校の修学旅行で賢治20歳の時。東京蚕糸学校や駒場農科大学などを見学しています。
2回目は同じ年に、ドイツ語を学ぶためにかなり強引に上京し、麹町の下宿屋に泊まり、そこから神田の東京独逸学院に通ったそうです。道筋をたどると大妻のあるあたりも通っていたのでは、という考えも浮かびますが、残念ながらその年には大妻はまだここには移ってきていないのです、と先生のお話。
この坂は 霧のなかより巨なる 舌のごとくにあらはれにけり (神田にて)
賢治の東京での行動範囲は、麹町、神田、小石川、日本橋などで、時には吉祥寺や調布、さらには伊豆大島や静岡へ足を延ばしたこともあったようです。
9回のうちには、東京で学んでいた妹のトシの看病のためであったり、農民活動に必要な技術や知識を習得するためにチェロの個人レッスンに通ったり、タイプライターを習うことやエスペラント語を学ぶということもしていました。
また国柱会という宗教団体に入会してかなり心酔するようにもなったようです。
賢治にとっての東京とは?
東京へのあこがれ、知識や進んだ文化を取り入れることによって、初めのうちは何も見えなかったものが、だんだんと東京が距離を置いて見えるようになり、自分の心に「根拠」が作り上げられてくる、それが「イーハトーブ」=自然を蘇らせようという理想郷、ではなかっただろうかと結ばれました。
お話を伺い、「心象スケッチ」という言葉で表される賢治の思いに、少し近づけたように思いました。そして、短い人生にたくさんの業績を残した宮沢賢治の偉大さ改めて感じた講演会でした。
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大妻コタカ先生47年祭
12月3日(土)、学祖大妻コタカ先生の47年祭が執り行われました。
例年、ご命日の1月3日を1か月繰り上げて行われており、祭壇横に飾られたパネルのコタカ先生の写真を見ると、生徒の時に聞いたお話の数々やその声が蘇ってくるように思いました。
亡くなられて47年もの歳月が流れた今日、年祭がこうした記憶を新たにし、またコタカ先生と接したことの無い方々にとっても先生の精神を知る貴重な機会となっていることを感じました。
年祭は靖国神社の神官により粛々と進み、参列者全員が玉串を捧げて終了し、その後は大妻良馬・コタカ先生の墓参に、バスで多磨霊園へ移動。
柔らかな日差しに恵まれ、色鮮やかな紅葉も楽しむことができました。
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紅葉の集い
11月23日(水・祝)国立劇場における歌舞伎鑑賞として、大妻コタカ記念会主催「紅葉の集い」が行われました。
国立劇場では開場50周年記念として、10月から3か月連続通しで「仮名手本忠臣蔵」が上演されており、この11月は第二部として、浄瑠璃の「道行旅路の花婿」に続き五段目から七段目が上演されました。
早野勘平役の尾上菊五郎、大星由良之助役の中村吉右衛門という名だたる役者をそろえての舞台は、華やかであり重厚であり歌舞伎の醍醐味を堪能することができました。
記念会を通しておいでいただいた皆様には、大いにご満足いただけたものと確信しております。12月の第三部も見たいという思いを抱いて劇場を後にしました。
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川越まち歩き(大妻同窓会埼玉)
11月18日(金)大妻同窓会埼玉の秋の行事として、文学・歴史散歩「川越まち歩き」が催されました。
絶好の行楽日和のこの日、JR川越駅には11名の会員が集合しました。
まず喜多院へ。こちらのご住職の奥様は大妻嵐山高校から大学に進まれた方で、そのご縁でご住職様にご案内いただきました。
この喜多院は、寛永15年(1638年)の川越大火で現存の山門を除くすべてのお堂を焼失。すぐに徳川家光公は復興を命じ、江戸城紅葉山御殿の一部(家光誕生の間、春日局化粧の間など)が移築され大切に保存されてきました。立派な調度品なども残されており、川越が小江戸と言われるのがうなずけます。
お庭の色鮮やかな紅葉も素晴らしいものでした。
次に目指すのは昼食場所である佐久間旅館。明治27年に旅籠として開業した由緒あるこの旅館には、戦時中、高松宮様や三笠宮様がお泊りになったり、島崎藤村などの文人墨客、小泉元首相などの政治家の方々もお泊りになったそうです。
特に国の登録有形文化財になっている書院造りの「奥の間」では、昭和56年に将棋の名人戦も行われています。
こちらの若奥様も大妻嵐山高校から大学に進んでおられ、ここでも大妻の卒業生に出会え嬉しい思いがしました。
ゆっくりと皆さんでお食事を楽しみお話をして、その後は多くの観光客でにぎわう蔵造りの街並みをそぞろ歩きながら「時の鐘」を経て、お菓子横丁へ。
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「フラワーアレンジメント」講習会(山梨)
地方における講習会として、『フラワーアレンジメント』が大妻同窓会山梨の協力のもと、11月13日(日)韮崎駅前ニコリで開催されました。好天に恵まれ、富士山が間近にみえました。
大妻同窓会山梨では、例年アクセサリー作りなどの講習会を会員同士の交流の場として開催しているそうです。今年は、記念会主催で一般の方にも参加していただく『フラワーアレンジメント』講習会を初めて開催の運びとなり、同窓会山梨の役員の方々はご準備が大変だったことと思います。
講習会は午後1時半からでしたが、山梨の役員の方は10時からご準備に当たられて、講師の藪本先生と助手の方、記念会内藤は11時に会場入り致しました。
まず、先生のご指導で会場の準備を整えて、打合せをした後、午後1時から受付開始。そして1時半から講習会が始まりました。
山梨の小川代表のご挨拶と記念会内藤の挨拶の後、司会より藪本先生のご紹介があり、先生からプリザーブドフラワー作成の手順についてご説明をいただき、早速作業に移りました。
見ていた時は簡単にできそうでしたが、いざ始めてみると、いきなりバラの花に針金を入れるところから悪戦苦闘でした。藪本先生や助手の方が細やかにご指導くださり、午後3時半には個性豊かなすてきな作品ができました。
最後に藪本先生を囲んで、参加者全員で記念写真を撮りました。アンケートでは、また開催してほしいとの声をたくさんいただきました。そして、今回、初めて一般の方をお誘いしての講習会を通して、同窓会山梨の方からは、大妻のことを地域の方に知っていただくいい機会になったとの感想を伺うことができました。
ご協力いただきました皆様、ありがとうございました。
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