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29年度文化講演会「祭りの様相」 第1回「天下祭りと山車人形」
今年度の大妻コタカ記念会文化講演会は「祭りの様相」を主題として、10月と11月の2回にわたり開催いたします。
その第一回が10月14日(土)に、「天下祭りと山車人形」をテーマとして開催されました。
昨年、「山・鉾・屋台行事」がユネスコ無形文化遺産として登録されたことにちなみ、江戸の天下祭り【山王祭と神田祭】と、その主役である「山車」、「山車人形」についてを大妻女子大学博物館准教授である是澤博昭先生にご講演いただきました。
是澤先生はご専門であるひな人形の研究を始めとして、川越氷川祭の山車行事山車等修理検討委員会委員や佐倉市文化財審議委員などを務められ、赤坂氷川神社など各地の山車人形の調査に従事しておられます。
山王祭と神田祭は江戸の天下祭りと言われていますが、それはこの祭りが江戸城内において将軍の上覧があり幕府が祭礼費用の一部を負担していたことに由来するものでした。この二つの祭りは隔年交代で行われ、17世紀後半(元禄時代あたり)には天下祭りの形態が整っていたそうです。
更に時代は進み、幕末には下から見上げる「江戸型山車」に山車人形が誕生していき、19世紀以降に山車人形の注目度が本格的に高まるに至っていきます。
そして最後には、文化文政時代に人形師としてひな人形だけにとどまらず根付など大小さまざまな作品を手掛けた原舟月の名品を紹介していただきました。
人形は他のジャンルの美術品と違って、その人形に自分の思い出を取り込み語ることのできるものであるというお話は大変興味深く印象に残りました。
次回は「山王祭と江戸文化」について成城大学の滝口正哉先生にご講演いただきます。
どんなお話を伺えるか、大いに楽しみです。
たくさんの皆様においでいただきますよう、お待ちしております。
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29年度文化講演会「祭りの様相」 第1回「天下祭りと山車人形」 はコメントを受け付けていません
大妻神社の例大祭
9月23日(土)、長野の大妻神社の例大祭が行われました。
朝のうちの雨も上がり、秋空が広がった神社の周辺は刈り取りを待つ稲穂が揺れ、爽やかな風が吹き抜けます。
このお祭りの前に、大妻コタカ記念会と大妻コタカ・良馬研究所との合同調査として、以前大妻学院の依頼を受けて大妻神社に幟旗を奉納するにかかわった方からのお話や、大妻コタカ先生揮毫の額が掲げられている近くの野々宮神社を訪れ、元総代の方にコタカ先生がこの野々宮神社にお参りをした際の様子を伺いました。
お祭りは例年のように、小学生による舞の奉納がされ、境内に勇壮な山車が引き廻されました。
例大祭には長野の同窓会の方々、今年は伊那の方も参加され、にぎやかにお参りができました。
お世話になった同窓会長野の皆様、ありがとうございました。
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大妻コタカ先生・良馬先生ゆかりの方々を訪ねて
8月27日から30日まで、大妻コタカ記念会と大妻女子大学共同プロジェクトとの合同調査で、広島及び岡山に行きました。
1日目は世羅のコタカ先生生家の熊田喜賢さんにお会いしました。お元気でいらっしゃる様子に安心し、熊田家代々のお墓に連れて行っていただきました。そこにたたずみ現在に至るまでの長い歴史を感じました。
生家のすぐ近く、三川ダムほとりの大成龍神を祀る大龍神社は近年パワースポットとの呼び声高く、訪れる人も多いとか。
2日目はコタカ先生の生家を移築する際に、元の場所から現在地に搬送する作業にかかわった兼丸さんのお宅に伺いました。
解体した家の資材から庭の大きな石まで、オート三輪に載せて運んだ当時の様子を語ってくださいました。
現在残っている三川ダムができる前の集落の写真は、兼丸さんが中学の修学旅行に行く代わりに、親に無理を言って買ってもらったカメラに収められたもので、兼丸さんはその後も地元誌「びんごグラフ」の記者として変わりゆく土地の様子を撮影し続け、歴史を残してこられました。
さらに、高校からの推薦を受け大妻に進んだ卒業生の大元さんからもお話を聞きました。
3日目は大妻良馬先生の地、高知県の戸波(へわ)から4年前に娘さんのいらっしゃる福山に移られた片岡美千さんにお目にかかりました。
片岡さんは良馬先生の甥のお嬢さん(兄である大妻虎吉氏のお孫さん)で、東京大空襲の翌日に戦火を逃れて高知に戻るまでの5年間大妻で学ばれました。
校内で軍服を縫ったこと、布地を渡されて仕立て上げた着物をコタカ先生がお召しになったことなど、たくさんのことをお話いただきました。
大妻家に関する知り得ていないことを教えていただき、写真、史料も数多く残されていたことは今後の貴重な資料になるものと思われます。
大切に持っておられた大妻コタカ先生書の掛け軸を、床の間にかけ見せてくださいました。
片岡さんは90歳になる今もなお、手仕事は休むことなく続けておられ、今年は90枚のアクリルたわしを編み上げることを目指しているとのことで、そのたゆまぬ志の高さに感心いたしました。
4日目は岡山県新見市に、大妻の卒業生が創立した岡山県共生高等学校を訪問しました。
創立者の小林眞壽江氏は大妻に学び、小林景一郎氏と結婚し、夫の故郷の新見で裁縫塾を始めたことが学校の始まりです。
その後、夫の協力を得て昭和26年に学校の創立に至ります。
その5周年、15周年の際には大妻コタカ先生が来校され祝辞を述べておられます。
コタカ先生亡き後も内藤誉三郎先生との親交があり、校内には小林夫妻の写真と並んでコタカ先生と内藤先生の肖像画が掲げられています。
小林眞壽江先生は学園長として平成19年に亡くなるまで、精力的に学園の発展に力を尽くしてこられました。
大妻コタカ先生・良馬先生ゆかりの方々にお話をすることができた貴重な4日間でした。
ご協力いただきました皆様に御礼申し上げます。
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「第23回 風そよぐコンサート」のご案内
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大妻コタカ先生の額
大妻女子大学博物館に大妻コタカ先生書になる「人己心気腹」の額が掲げられました。
この額は広島県世羅町で紡績関係の家業を営んでおられた松坂都さんからの寄贈を受けた伊藤妙子さんの特別のお計らいにより、このたび大妻学院に譲られ、博物館で皆様にご覧いただけるようになったものです。
コタカ先生は広島に戻られると、卒業生である松坂さんのお宅をよく訪ねられ、この書を残されたそうです。
ちなみに、この額は「人は大きく 己は小さく 心は丸く 気は長く 腹は立てず」という言葉の意味を文字の形で表現したもので、コタカ先生らしいユーモアにあふれるものです。
どうぞ直接ご覧になってください。
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卒業生へのインタビュー
大妻同窓会長野の皆さんのご協力により、2回にわたり卒業生へのインタビューができました。
第1回目は諏訪にお住いの原さんと熊澤さんのお二人。
原さんは諏訪高女卒業後の昭和16年、東京神田の岩波書店に勤務する傍ら大妻の夜学に通い教員免許を取得し、地元に戻り教員として長く勤務されました。
岩波の創業者である岩波茂雄は社員に夜学に通って勉強するよう勧め、原さんもその言葉で大妻に通うようになったとのこと。18年に卒業(繰り上げ)されますが、大妻の先生はみな立派で、今日の自分があるのは大妻で学ぶことができたおかげ、大妻に通ったことは誇りである、とお話しくださいました。
原さん(写真前列左)と村史の編纂作業で一緒になり、同窓であることが分かったという熊澤さん(写真前列右)は大妻出身の先生に大妻進学を勧められ、昭和28年に短大家政科に入学。瓶細工を習ったことなど当時の様子をお話しくださいました。
第2回目は伊那にお住いの松澤さんと小池さんのお二人。
松澤さん(写真前列右端)の通われていたのはコタカ先生が教職追放の時。助手の先生が「コタカ先生がこのようにおっしゃっています」というようにコタカ先生の教えを代弁されており、コタカ先生がいらっしゃらなくてもその教えは浸透していたこと、物のない時代での学びの様子などたくさんのことを伺い、お持ちいただいたアルバムも見せていただきました。
昭和41年3月卒業の小池さん(写真後列右端)は、学友会長をしていた大学3年生の時にコタカ先生の勲三等宝冠章受章のお祝いの言葉を述べたり、卒業式では送辞、答辞を述べる大変栄誉な役割を担ってこられ、当時の学生生活についてもいろいろお話しくださいました。
皆さんのお話を伺い、どの時代にあっても大妻では「学ぶ」ことの大切さを教え、「学び」がその人の人格形成をなし、その後の生き方の基盤をなすものであるという教えが続いていることを思いました。
快くお世話いただいた長野の同窓会の皆様に感謝申し上げます。
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特別企画展のご案内(in昭和館)
九段下の昭和館で、特別企画展「昭和を生き抜いた女性たち~大妻コタカと大橋鎭子らが生きた時代~」が、7月22日から9月10日(10:00~17:00 月曜休館)まで開催されます。
昭和という時代に、様々な困難に出会いながらも社会的に大きな活躍をした女性二人を取り上げた企画展です。
大妻コタカは大妻学院を創立し女子教育に情熱を注ぎ、大橋鎭子は『暮らしの手帳』を創刊し女性の暮らしを豊かにする雑誌を作るために活躍を続けた、ともに昭和を代表する女性です。
入場無料ですので、皆様どうぞ足をお運びください。
昭和館ホームページはこちらです http://www.showakan.go.jp
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大妻同窓会新潟の総会
7月9日(日)、大妻同窓会新潟の総会がアートホテル新潟において開催されました。
最高気温が30度を超える真夏日ではありましたが、一年に一度、こうして総会で顔を合わせることを楽しみにして皆さんお集まりになりました。
総会では、Ⅰ期目を務められた渡邊代表を始めとする役員の皆さんが、そのままⅡ期目も継続して務められることが承認され、予定された他の議事もすべて拍手をもって承認されました。
大妻コタカ記念会(井上)からは、千代田キャンパスが開設から100年目を迎え、校舎棟などが新たに竣工した大妻学院の現況や大妻コタカ記念会の事業への取り組みについてお話いたしました。
「大きく変わった様子を見学に行きたいわね~」という声も聞かれ、皆さんそれぞれに自分の学生時代を思い出しながら、発展する大妻学院に大きな期待を寄せておられました。
詩吟が披露されたり、すてきな歌声を聞かせていただいたり、食事をいただきながら話も弾み、和気あいあいの時間を過ごしました。
初めて参加された方からも「楽しかったです」という言葉をお聞きして、新潟を後にしました。
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大妻同窓会宮城の総会
7月2日(日)、ホテルメトロポリタン仙台において大妻同窓会宮城の総会が開催されました。
議事は滞りなく進み、昨年から暫定的になっていた役員が改めてこの総会で承認され、大妻同窓会宮城のさらなる結束を、という言葉が交わされました。
そして、この春の叙勲で、長く青少年の更生に力を尽くされ2度目の藍綬褒章を受章された藤江様と、めでたく米寿を迎えられた伊藤様に花束が贈呈され、皆様で喜び合いました。
この後はおいしいお食事をいただき、皆様からのお話を伺いました。
この会に初めて参加された方が2名いらっしいました。その方々は、同じ学校で学んだという共通点が、こんなにすっと入っていける雰囲気を作っているのだと感じ、思い切って来て本当に良かった、とお話しくださいました。
先輩からは生きる知恵を授かり、後輩からはエネルギーを受け、皆さんそれぞれに豊かな気持ちを得て、「また来年お会いしましょう」を合言葉に散会しました。
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大妻家と大祝諏方家
6月25日(日)、大妻コタカ記念会と大妻コタカ・良馬研究所との合同調査として、長野県諏訪市博物館および大祝諏方家住宅(現在諏訪市教育委員会保管)へ行きました。
昨年10月に開催された大妻女子大学シンポジウムで「大妻氏と大妻神社」のテーマでお話いただいた高見俊樹先生に、その中で触れられた大妻家と諏訪大祝との関係をさらに詳しく教えていただくことを目的としたものです。
高見先生は現在、諏訪高島城資料館の館長をしていらっしゃいますが、学芸員として諏訪市博物館の立ち上げに尽力され、博物館にも展示されている数々の出土品の発掘にも関わってこられ、また最後の大祝諏方家の資料引継ぎにも携わってこられた方です。
ちなみにお嬢様が大妻女子大学社会情報学部のご卒業というご縁もあります。
この日のテーマである「大祝」とは諏訪明神の依り代(神霊が意思を伝えるために人間界に現れるときに依りつく対象物。つまり神の代行者)として諏訪社の頂点に位置した役職。
上社大祝は古代から近世末まで世襲され「諏方氏」を名乗っており(この場合には「諏訪」ではなく「諏方」)、中世までは諏訪領主として政治権力も握っていたのですが、明治維新を経て神官の世襲制度が廃止されるに伴い、大祝職も廃止されたのです。
この古来から続く大祝諏方氏を中心として、鎌倉時代には武士団として成長し、諏訪神党である神家一党三十三氏の中に大妻家が含まれています。(昨年の「ふるさと」68号参照)
江戸末期、生き神として最後の大祝職であったのは諏方頼武氏で、明治になって頼固氏、頼宣氏が家督を継ぎ、頼宣氏の子である弘氏で諏方家は途絶えることとなっってしまいました。
この日は、今に残る大祝諏方家の見学(外観のみ)をし、博物館に引き継がれた資料のいくつかを見せていただきました。
頼宣氏の妻の横山(旧姓)キマさんは大妻技芸学校で学び、のちに寮の舎監も務めており、頼宣氏も一時期大妻で教職についていたという大妻との深いつながりがあります。
大妻コタカ先生と幼い弘氏が布団で横になった笑顔あふれる様子が写真に残されており、コタカ先生が弘氏をとても可愛がっておられたことがわかります。
また、キマさんの丁寧に克明に書かれた日本刺繍を始めとする数々のノートも諏訪市博物館に保管されており、それを見るとキマさんは大変優秀な方であったであろうことが推察されます。
生き神として崇め祀られてきた大祝諏方家と大妻家や大妻の学校との強い結びつきなど、新たなことをたくさん知る一日となりました。
お世話になりました皆様、有難うございました。
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