秋晴れのさわやかな日となった9月23日(月)、大妻家のルーツである長野県松本市梓川倭の大妻神社で秋の例祭が行われました。
大妻神社から例祭のご案内をいただき、私、井上が同窓会長野の役員の方3名とご一緒にこの例祭に伺いました。
昭和38年に再建されたという社は杉木立の中に建ち、落ち着いた雰囲気を漂わせています。
舞姫の衣装も整い、宮司さん、総代の方々との記念撮影に私も入れていただきました。
お祓いの後、舞姫による「浦安の舞」が奉納され、男衆が2台の舞台を境内に引き回して祭はクライマックス。
社の中には大妻コタカ先生が落成記念として書かれた額が掲げられていました。
また、総代の中のお一人からは、その方がまだ小さい頃、おじいさんの所によくコタカ先生がおいでになっていたというお話も伺いました。
この石碑は「ごもくめし」にも載っている大妻氏館跡を示すもの。
大妻神社のすぐ近くの田んぼの中にポツンと立っており、この一帯が大妻氏の領地(東西八十間、南北九十間)であったことが示されています。
この石碑は昭和12年に長野県によって建てられたものです。
「大妻(おおづま)」の地は北大妻と南大妻とに分けられており、この場所は北大妻にあたるのだそうです。
大妻神社から車で5分くらいの所にある「野々宮神社」にもコタカ先生ゆかりの額があると教えていただき、訪ねて行きました。
こちらはこの日が宵祭りで、その準備の中、親切に案内してくださいました。
このお宮にあったのは2枚の額。
左の額にはコタカ先生が次のように書かれています。
『めがさめて 見れば うれしや 今日もまた この世の中の 人とおもえば
今日一日腹を立てぬこと 今日一日うそをいわぬこと 今日一日わるくちをいわぬこと 今日一日何事も善意にかんしゃすること
昭和四十年九月二十二日大妻女子大学学長 大妻コタカ 八十一才』
この額を見て、コタカ先生がよくこのことをお話しくださっていた姿が思い浮かんできました。
「大妻」を感じた一日はこのように過ぎ、皆さんに親切にしていただいたことに感謝して帰路につきました。